ソウル滞在記

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2010/08/19 (Thu)

 

 

 

 

 ソウル滞在2日目。本日の予定は、日中はソウル中心地にある某病院(というか手術室)の見学で、夜はまたみんなで夕飯を食べに行くというコース。ここの病院のオペ室は8時から(つまり患者さんが8時に入室)らしく、朝の待ち合わせは7時半にホテルのロビー。シャワー浴びたり朝食を食べたりすることを考えたら、余裕を持って6時過ぎには起きてないといけないわけで、結局いつもの仕事の時と同じくらい朝が早い。まぁ、仮にも自分は麻酔科医なので、朝が早いのは平気というか、諦めがつくというか、苦手なりにも頑張れるのでいいのだが。

 

 朝食は、ホテルの20階にある小さなカフェのようなスペースでコンチネンタル・ビュッフェ。ここでの朝食が宿泊プランに含まれているということで、毎朝ここで食べたのだが、そんなに広くないし、テーブルも2人用が20卓あるくらいで、こんな広さで朝食を食べる宿泊客を収容できるんだろうかという感じ。同じようなスペースが19階にもあって、どうやら宿泊客ごとに19階か20階に割り振られているようなのだが、それにしても狭い。実際、今日はビュッフェがオープンする6時半のすぐ後に行ったから空いてたけど、9時半頃に食べに行った3日目の朝は、テーブルが空いてなくて19階に案内される人が続出だったし。後、部屋番号も何も聞かれず、申告もしなかったので、関係ない人がやって来て食べることもできちゃうんじゃないかと心配。

 

部屋の角にあるテーブルから撮影したビュッフェのスペース。

ちなみに夜はバーになるらしく、それも無料。

 

 

 病院見学に関しての詳細は、ここでは割愛するけど、初めての海外の大規模病院の見学ということで、色々な意味で刺激的だった。麻酔方法や、使っている器具、モニターなどは日本と殆ど変わらないのだが、そもそもの病院の規模の大きさや、韓国の研修医(レジデント)制度、手術室全体のシステム、各科手術毎に専門化された麻酔科医のシステムなど、日本とは違う、日本では見られない医療現場を見ることができて、予想以上の大きな収穫になった。来る前はすごいプレッシャーで不安だらけで、正直行きたくないなぁとずっと思っていたのだが、来てよかったと思う。

 

 とは言うものの、手術室の見学って1日もかからずに終わってしまうもので、昼の3時頃には何もすることがなくなってしまった。とりあえず、オペ室の麻酔科控室みたいなスペースに座って、同い年くらいの韓流スターみたいなスタッフの先生(以降、Dr.K)と、明日はどこに観光に行く? みたいな話をネットを見ながらしていたら、急遽その先生のガイドのもと、ネットで調べていた史跡に観光に行くことになった。その史跡が病院から近いので、すぐに行けるというのだが、それにしても、なんてフレキシブルな。自分が働いている病院だったら、スタッフが突然1人いなくなるとオペ室が回らなくなることもあるのに。

 

病院の近くにある古宮、昌慶宮(チャンギョングン)の正門。

文禄・慶長の役で一度焼失している。

 

 上の写真の昌慶宮の隣には、『チャングムの誓い』 の舞台でもある昌徳宮(チャンドックン)があったりと、歴史的遺跡好きとしては素敵な立地にある病院なのだが、今日行ったのはこのどちらもでなくて、昌慶宮の南にある宗廟(チョンミョ)。李氏朝鮮歴代の王と王妃を祀る、歴史的祭祀場だ。以前は宗廟と昌慶宮はつながっていて、写真の弘化門から入れば宗廟へ行けたので、ここから入る予定だったのだが、Dr.Kが弘化門の入場券売り場のおばちゃんに聞いたところ、今年の春から行けなくなってしまったらしく、仕方ないのでタクシーで宗廟まで行くことにした。歩いても15分くらいなので、タクシーだと、あっという間に到着。

宗廟の案内板。充実の日本語ガイド。

注意書きも日本語アリ。

 ちょうど、後20分くらい待てば日本語ガイドのツアーが始まるところだったので、宗廟の前の公園を散歩したりしながら時間をつぶした。というか、注意書きにも書いてあるが、自由見学ができないので、見学ツアーの時間帯にならないと中に入れないのだ。Dr.Kによると、以前はいつでも自由に入って中を見ることができたらしい。昌慶宮から入れなくなったことといい、こんなシステムに変わったなんて知らなかったとのこと。観光政策か何かが代わりつつあるんだろうか。

 

 時間つぶしに宗廟の前の公園を歩きながら、ここはおじいちゃんが集まることで有名なんだよと、Dr.Kが教えてくれた。確かに、不気味なくらいおじいちゃんがいっぱいいる。時刻は午後3時半(日本と時差がないので、陽射し的には東京の3時頃)。気温は猛暑の日本とほぼ同じで、30度を超える暑さだというのに、夏の日差しが照りつける公園におじいちゃんが集まってくるというのは不思議な風景である。このおじいちゃんたち、何してるの? とDr.Kに聞いてみたら、うーん、将棋(チャンギ)かなぁ、と答えが返ってきた。確かに、ポータブルの簡易将棋盤で将棋を指していて、その勝負を覗きこむように周りに人だかりができている。けれども、何もこの暑い中を公園で将棋しなくてもいいのに。日本だったら区民館とかでやってる人が結構いるけれど、そういう施設が少ないんだろうか。ちなみに、そもそも韓国に将棋があることを知らなかったのだが、韓国の将棋はマス目の線が全て縦横ではなく、一部(王様の駒のあたり)に斜めの線が入っていた。同じ漢字を使うくらいだから、ルールも似たようなものなんだろうか。

写真に映っている人は全員おじいちゃんという、

ナニコレ珍百景的な光景。

公園の前には鐘路(チョンノ)という大通り。

ソウルでは、大通り沿いにあまり高い建物がない気がする。

 この鐘路を歩きながら、ここは昔のソウルの都の一番の大通りで、王様や偉い人たちが通ると庶民は頭を下げないといけなくて、それを回避するために庶民は大通りの裏に小さな路地を作っていったんだよ、などなど、即席で僕のガイドをしてくれているにもかかわらず観光ツアーのガイド並みに色々と教えてくれるDr.K。自分には東京に関するこういう知識がないので、尊敬の眼差しである。しかも、実はDr.K、日本語もそこそこできるのだ。自己紹介や挨拶の日本語がカタコトでできるとかいうレベルではなくて、こっちが普通に日本語で会話しても言いたいことが伝わるくらいのレベルで。お互いに英語で言いたいことが伝えられなくなったら、日本語で話せば伝わる(つまりリスニングもスピーキングもOK)というくらいのレベルで。どこで日本語勉強したの? と聞いたら、大学の第2外国語と言っていたが、第2外国語の勉強だけで 「暑いねぇ」 が言えるのはすごいんじゃないんだろうか。「暑い」 の後に 「ねぇ」 をつけて言えるのは。

 

 宗廟の日本語ガイドツアーは1回1時間程度で、参加人数は大体30人くらい。僕らが参加したツアーの前のツアーにも同じくらいの人数が参加していたので、結構な人数の日本人が観光に来てることになる。ガイドさんは現地の人で、アドリブも言えるぐらい流暢に日本語を話していた。

 

韓国の伝統的衣装を着ているガイドさん。暑そう。

 

入口の正門を入ると、正殿へ通く道、三道が。

 

 この三道は、祭礼の際に王や王子、そして祖先の魂が正殿へ向かう時に通る道で、ゆっくりと、厳かに歩くように、わざと石は凸凹にしてあるという。そして、一段高くなっている中央が祖先の魂が通るための神路、その右を王が、左を王子が歩く道になっているとのこと。なので、中央部分は神聖な道なので踏まないようにしてくださいと、ガイドさん。しかし、なぜか日本人軍団に紛れ込んでいるEnglish speakingな欧米人には伝わらず、気にせず踏みまくられていた。そして、それを日本語で注意する日本人観光客のおじさん。ちょっと微笑ましい光景である。

 

 宗廟の敷地の中には正殿を含めて5つの建築物があり、それを順番に回りんがら、ここは祭祀が始まる前に王様が休んでいたところですよ、ここは祭祀の料理を作っていた台所ですよ、と説明してくれるガイド。Dr.K に 「この日本語の説明、分かるの?」 と聞いたら、6割くらい分かるよという返事。マジっすか。

王が祭祀の前に沐浴を行っていたという斎宮。

料理や祭祀で使う器具を準備していた典祀庁。

 この典祀庁のすぐ西にあるのが正殿で、李氏朝鮮歴代の王や王妃、皇太子の位牌48体が安置されている。ただし、正殿に位牌が安置されるのは立派で高徳だったとみなされる王のみで、悪政を行った王の位牌は宗廟内の別の場所(永寧堂)に安置されるというのが面白い。正殿には20本の柱があり、その柱と柱の間に位牌が安置されている神室が一つずつあるという。つまり神室は19部屋で、そこに祀られている王様の中には 『チャングムの誓い』 に登場する何とかという王様(観てないから名前忘れた)も入ってますよと、日本の韓国ドラマブームをしっかり押さえた説明で盛り上げるガイドさん。

 

典祀庁の横にある、位牌が安置されている王、王妃、皇太子のリスト。

リストの下には、普段は一般公開されない神室内部の写真が。

 

そして正殿を正面から。敷地が広い。そして横に長い!

 

 写真中央に走る黒い石造りの道が、先祖である王の魂が通る道で、宗廟の入口にあった三道からずっと続いている。祭祀の時には、この正殿の前に広がる広場(月台と言う)で音楽が奏でられ、舞が舞われたという。いや、正確には過去形ではなく現在形で、現在でも年に一度、五月にその祭祀が行われているらしい。その音楽は、第4代の王である世宗自らの作曲によるものであり、舞は当時のものがそのまま受け継がれている。こういった音楽や舞も含めて、宗廟で行われる祭祀の歴史的価値が認められ、宗廟は祭祀そのものを対象とした無形文化遺産として登録されているのだ。

 

 正殿のガイドさんの説明で面白かったのが、正殿が建てられた当初はもっと横に短かったのが、亡くなった王が増えていくとともに、東(写真で言うと右)に増やしていったのだと言う(なので柱の形状が場所によって微妙に違う)。それだけならまぁ普通だが、東に増やしていくと正殿の中心がどんどん東にずれていくので、それに合わせて中央の黒い道も東にずらし、また、正殿の正面にある南門の位置も東にずらし、さらに正殿の敷地の東側にあった典祀庁も東にずらしていったらしい。それまた一苦労な・・・・

より奥行きが分かるアングルで。

ここは正殿全景がおさまる撮影ポイント。

正殿の東側の入口から。

鮮やかな赤の柱が20本等間隔で奥の方まで並ぶ姿は圧巻。

 この正殿を見て思いだしたのが、2年前の秋に訪れた京都の三十三間堂だ。中に納められているものは異なるけれど、柱が等間隔に並んだ横長の建造物と言えば三十三間堂である。ガイドさんも、「宗廟は韓国で一番横に長い歴史的建造物ですが、日本には宗廟より横に長い建物がありますね。ご存知ですか? 三十三間堂ですね」 と聞いていた。そして、Dr.K は三十三間堂も知っていた(というか行ったことがあるらしい)。どこまで日本通なんだろうか。

 

 この後、悪政を行った王が祭られている永寧堂を見学して、宗廟ツアーはおしまい。すごい暑くて汗だくの観光だったけど、史跡観光はやっぱり面白くて、行ってよかった。日本語ガイドつきというのもありがたくて、ソウルに来てからずっと(つまり1日だけ)疑問に思っていたことを解決できたのも嬉しかった。それは何かというと、昌慶宮の写真を見てもらうと分かるのだが、ソウルで見かけた歴史的建造物の屋根には、人間のような形をした小さな彫刻が必ずといっていいほどついているのだ。この不思議な人たちは何のおまじないなんだろうと思っていたら、宗廟の永寧堂の屋根にもにもその彫刻がついていて、ガイドさんが 「これは西遊記に出てくる登場人物たちなんです」 と説明していた。つまり、一番前が馬に乗った三蔵法師で、その後ろに孫悟空、猪八戒、沙悟浄と続き、その数が増えれば増えるほど格式高い建物であることを表すらしい。へぇぇ。

 

と納得してはみたものの、これが三蔵法師? 孫悟空?

ていうか、なぜに西遊記?

 

宗廟でよく見かけた鳥。鵲(カササギ)ですね、とガイドさん。

鵲なんて初めて見ました。

 

宗廟の中の池。

四角い池の中に丸い島というのは、陰陽の世界観を表しているらしい。

 

その島に立派な姿で立っている、イブキの木。

これが松じゃないのが日本との違い。

 

 

 宗廟を観光した後は、病院まで歩いて戻り、軽くシャワーを浴びて夕飯へ。Dr.K は病院まで歩く途中も、あれがソウルで一番高い山だよと、街の向こうに見える岩山を指して教えてくれた(下の写真)。もう、このままソウルの街を観光案内してほしい。そして、この帰り道で初めて Dr.K の名前をちゃんと聞いた。英語で会話すると相手のことを you と言ってしまうので、名前を知らなくても自然に会話できちゃうところが恐ろしい(本当に自然かどうか知らないが)。

 

山の名前は忘れたが、多分、北漢山(プッカンサン)。

ソウルの山は岩肌が露出していてダイナミック。

 

そして夕飯はサンギョッサル。厚切り豚肉の鉄板焼肉だ。

 

 サンギョッサルは初体験。基本的に肉好きなので当然美味しいのだが、一緒に食べに行った先生たちが、これとこれとこれを一緒に食べると美味しいよと、食べ方を色々と教えてくれて、確かにその通りに食べると美味しい! 特に、キムチは焼くと辛みがマイルドになって、豚肉と一緒に食べるとちょうどいい味付けになって、更にそれを、きな粉みたいな調味料につけて食べると絶妙の味だった。韓国料理は苦手なんだけどなーと思っていた自分だが、その偏見が少しずつなくなりつつあります。

 

 このサンギョッサル屋さんがあるのは、大学路(テハンロ)と呼ばれる繁華街。以前はこの近くにソウル大学があったことから大学路と呼ばれているのだが(今は医学部を除いて別の場所へ移転してしまった)、大学の近くで発展しただけあって、若者の街っぽい雰囲気。映画館や劇場が多く、若者向けのレストランやバー、焼肉屋なんかもあって、日本で例えるなら、人通りが銀座くらいの渋谷といったところだろうか。ガイドブックにも載っていて、若者の観光スポットにもなっているみたいだ。

 

マクドナルドにファミリーマート、豚カツのさぼてん。

日本と見紛うような大学路の一角。

大学路で突然目に入ってきた謎の動物。

調べたら「ヘチ」という韓国の想像上の動物らしい。

 

 サンギョッサルを食べ終わったのが7時半頃。この後は、ソウル市内を流れる漢江(ハンガン)のクルージングに行くという話も出たのだが、クルージングの出発の時間が合わず、残念ながら断念。代わりに、大学路のすぐ裏にある駱山という山に登ることになった。ここから眺めるソウル市内の夜景がいいらしい。後で調べたところによると駱山は標高100mもない山で、歩いて登ってもすぐだった。ただし、夜の7時半で日が暮れかけてるとはいえ、まだ外は暑く、湿気も多くて、その中を歩いての山登りはなかなかの運動である。しかも自分の格好、Yシャツにスーツのズボン、そして革靴だし。

 

駱山への途中の道にあった交番。

カッコイイ鷹の他に、目と耳の絵があるのがカワイイ。

 

駱山の頂上近くにて。

向こうの山に建って光っているのは、昨日行った南山タワー。

 

 ここで色々とソウルの街について教えてくれるDr.K。ソウルという街は、その中央を流れる漢江により南北に分けられ、漢江の南側(江南)が新興住宅街として発展してきた new Seoul であるのに対し、漢江の北側(江北)は old Seoul、つまり昔からあった歴史あるソウルの町で、ここが現在のソウル中心部にあたる。このあたりは周囲を山に囲まれた盆地であり、故に外敵の攻撃から町を守りやすく、町として発展しやすかったらしい。そして駱山は、ソウルを取り囲む東西南北の山のうち、東側を囲む山になる。当時は山々に砦を作って外敵からの攻撃を防いでいたのだが、上の駱山の写真で、写真手前から奥に続いている砦のような構造物は、その砦を再現したもの。この砦をずっと追っていくと(つまりソウルの町の東側の山を辿っていくと)、ソウルの町の東端の門、すなわち東大門に辿り着くのだとか。夜景を見ながらソウルの町の歴史と構造を勉強できる、素敵な即席ツアーであった。

 

 

 この後、駱山を下山して再び大学路へ戻り、大学路のバーで飲み直して、10時頃お開きになって、タクシーでホテルへ。お開きの直前に、医者になって1年目のインターンの先生と少し話したのだが、彼は日本語を少し知ってるみたいで、お店からの帰り道に 「私の名前は#&?」 とか、「おいしい」 「かんこく」 などなど、知ってる日本語を羅列して、意味があってるかどうか聞いてくる。そして、「これがどういう意味なのか知りたいんだけど」 と聞いてきたので(もちろん英語で)、うんうん、何でしょうと思って聞いていたら、「そんなことないですよ」。「そんなことないですよ」!? 一体どこでそんなフレーズを!? と、かなり驚いてしまった。ていうか、また随分とニュアンスの説明が難しい日本語表現を聞いてくるなぁ。

 

 どうやら彼は、日本のアニメを見た時に 「そんなことないですよ」 という表現を覚えたらしい。一応、英語で簡単に意味を説明したのだが、そのニュアンスは殆ど伝わらなかったような気が・・・・ 「そんなことないですよ」 を英語で説明すると、どうなるんですかねぇ。

 

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